
わたしがあこがれていたもの。
ずっとずっとほしくてたまらなかったもの。
それは
”太ももの隙間”
足が太いことは
体型の中でも、
最大のコンプレックスだった。
むちむちの太もも、
パンパンのふくらはぎ、
全部全部大嫌いだった。
これはそんなわたしのお話。
くまさんの靴下
今でも覚えている
小学校のときのエピソードがある。
その日わたしは
お気に入りのくまさん柄のハイソックスを履いていた。
確かおばあちゃんの
お見舞いに行っていたときだったと思う。
イスに座って、
時間を持て余すかのように、
わたしは足をぶらぶらさせていた。
そのわたしの足を見て、
父が放ったひとこと。
「お。
くまさんがぶたさんになってるやん(笑)」
うちの父、
いつもはお茶目でかわいいんやけど、
たまーにこうして、グサッとくる
ブラックジョークをかましてくる。
もちろん、当時のわたしは傷ついた。
幼心に傷ついた。
ブラックジョーク??
ブラックどころじゃない。
漆黒だ。
黒竜のごとき漆黒だ。
父に言い返すこともできず
だいすきなクマさんを、
ブタさんにしてしまった、
醜い自分の足を呪った。
このブタ野郎が!!!!!
と、心の中で吐き捨てた。
はたしてそれは、
ぶたさんになってしまった
脆弱な靴下に向けてだったか。
心無いお茶目な父に向けてだったか。
はたまた、
自分に向けてだったのか。
今ではもう思い出せない。
続けて、
こんなエピソードもある。
それから数年後の
中学生になったわたし。
ロングブーツがほしくて、
誕生日に両親と買い物に行った。
父譲りで
甲が高くて幅も広いわたしの足。
なかなかぴったりと合う靴がなく
いつも苦労していた。
何件か靴屋を見て回り、
ある靴屋さんで
めっちゃ好みのブーツを見つけた。
さっそく試着をしてみることにして、
ベテランっぽいおじちゃん店員さんが
いろいろと準備してくれた。
おそるおそる、
つま先からブーツにお邪魔をする。
入った!!!
高さも幅もきつくない!
「イケそうですね」
と店員のおっちゃんもほほえんでいる。
ニコニコしながら、
わたしはチャックをあげた。
はずだった。
あがらない。
チャックが。
あがらない。
そう、かつてクマさんをブタさんした
わたしのたくましい足はご健在していた。
健やかに育っていた。
みるみる顔が曇る私に気がついたのか、
おっちゃんは
「あ。チャックあがりにくいですよね。
最初はあがりにくいんですよね。
ちょっとやってみますね。」
と言いながら、
チャックをあげようとしてくれた。
だが、あがらない。
いくらおっちゃんが、
あの手この手で、
チャックをあげようとしてくれても、
かたくなにあがらない。
チャックの悲鳴が聞こえてくるようだ。
わたしは耐えかねて
「あ、もう大丈夫です。
ありがとうございます…」
とできる限りの笑顔を振り絞って伝えた。
その後のことは、
覚えていない。
残ったのは、
あれから20年以上たっても癒えない、
この胸の痛みだけだ。
ここまで書いていて、
すでに心が悲鳴をあげている。
あの日のチャックと同じくらい、
わたしの胸が悲鳴をあげている。
まぁそんなこんなで、
わたしは足に多大なコンプレックスを
感じて育ってきた。
しかし、
この2つのエピソードは
どれもふくらはぎに纏わるもの。
タイトルにある
”太ももの隙間”とは
若干ズレている。
ここまで書いて、今気がついた。
しかししかし。
まったく無関係を言うこともないだろう。
太ももとふくらはぎは、
名称こそ違うといえ、
同じ足の部位。
お隣さんの位置にいる。
とはいえ、
なぜわたしはふくらはぎではなく
太ももの隙間にここまで執着しているのか。
その謎を解き明かすべく
別の観点から考えてみようと思う。
股擦れが恥ずかしい

わたしが太ももの隙間を
気にしだすようになったきっかけ。
あらためて
記憶を紐解いていくと
それは再び小学生までさかのぼる。
暑い夏の夜。
お風呂上りに
叔母が汗疹対策として
ベビーパウダーを
身体にはたいてくれていた。
ジョン〇ンのベビーパウダーを
わたしの肌にはたきながら
叔母がこんな話を語った。
「おばちゃんも昔太ってたんやけどな。
そのとき股擦れがひどくって、
汗疹できてしもててん。
やから、おばあちゃんがこうやって
ベビーパウダーはたいてくれててん。
なつかしいわ~」
遠い過去を振り返り
昔を懐かしむ声で語られるエピソード。
当時
股擦れという言葉の意味が
よくわからなかったわたしは
叔母にその意味を教えてもらった。
そうか、股擦れっていうものが
この世には存在するんや。
太い人は、股擦れを起こすんやな。
叔母と祖母の心温まる親子のエピソードに
わたしが抱いた感想はそれだった。
ほかに感じることはなかったのだろうか。
とにもかくにも
叔母の太っていた過去の話から
わたしは”股擦れ”という言葉を学ぶこととなる。
デブの象徴=股擦れ
この方程式が出来上がった瞬間だった。
そこからだ。
わたしが太ももの太さ
太ももの隙間を気にしだすようになったのは。
ただでさえ
「細い太ももは痩せの象徴」
という情報が蔓延しているこの世の中。
叔母から聞いた
「股擦れ汗疹事件」
と
メディアによる痩せ信仰。
さまざまな条件が組み合わさり
太もも隙間妖怪が誕生してしまった。
自分は周りの子と比べて
ぽっちゃり体型だと
少しづつ気になりだした年ごろ。
そんな思春期特有の悩みも加わり
隙間沼にずぶずぶはまっていった。
自分はデブだから太ももに隙間がない。
隙間がないから股擦れを起こす。
股擦れを起こすから、汗疹ができる。
恥ずかしい。
こんな太もも大嫌い。
こんな太い足大嫌い。
日に日にコンプレックスは強くなっていった。
で、今ここ。だ。
隙間への執着

いつのころからか、
鏡の前で足を引っ付けて立ち、
太ももに隙間があるかチェックするようになった。
隙間があれば安堵し、
隙間なければ
”太った。やせなきゃ。”
と強迫観念が襲ってくる。
なんてったって
歩いていても
今股擦れを起こしていないか?
という恐怖との戦いだから
毎日気が気ではない。
この習慣悪しき習慣は
10年以上続いた。
体感としては、
BMIが16以下くらいになると、
わりと広めの隙間ができて、
17以上になると、
段々狭くなってくる印象である。
とはいえ、BMI16以下というと、
拒食症の診断基準でいうと、
結構アウトな数字。
病的に痩せるか、
はたまた太ももの隙間を手に入れるかの二択。
葛藤の日々。
隙間コンプレックスを克服するまで

この状態は
精神衛生上よくないと、
さすがに最近思うようになった。
一生このまま太ももがあるかないかを
気にして過ごすのだろうか。
ぞっ。
恐怖にかられたわたしは
隙間コンプレックスをなんとか克服しようと、
思い当たることを片っぱしから試してみた。
その方法は大きく4つ↓↓
- 低体重を必死でキープ
- 太もものトレーニングにいそしむ
- 太ももの隙間反対派のサイトを見る
- みんなに相談
①低体重をキープ
まずは、
先ほどちらっと言った、
BMI16以下の体重をとにかくキープ。
たとえ太ももの隙間がなくても、
自分はこんなけ体重軽いんやから、
許されるやろ(太ってないやろ)
と思うことができた。
②太ももトレーニング
①よりはずいぶん前向きな方法笑
一世を風靡した足パカ運動や、
太ももに効きそうなトレーニングを
毎日愚直に続けた。
特に効果はなかったけども(´・ω・`
③太ももの隙間反対派の意見
太ももの隙間は危険だと
警鐘を鳴らすサイトも多くなってきた昨今。
「反対派の意見を知れば、
わたしの隙間への執着も薄れるかも…」
と思い、Google先生に頼ることに。
よさげなサイトを読みまくった。
なぜ太ももの隙間はなくていいのか。
その理由を骨格や、遺伝の観点から説明してくれている
サイトを片っぱしから読みまくる。
うんうん。
やんなやんな。
と思うものの、
でもわたしはこの人の言う
隙間ができない骨格や、
遺伝子ではないかもしれへん。
となると、
太ももの隙間がないと、
痩せてるってことにはならんよな…
むしろ、肥満ってことよな…
と結局振り出しに戻る。
長年培った価値観は、
ちょっとそっとでは消えてくれない。
④みんなに相談
もう何やっても隙間の呪いから解放されず、
耐え切れなくなった末の方法。
主治医の先生
パーソナルトレーナーさん、
夫
果てはいつもお世話になっているBAさんまで。
とにかく自分が信頼している人たちに、
Helpを求めまくった。
みんなが口を揃えて言ったのは
「隙間がなくても全然問題ないと思う」
(´・ω・`)
みんなが言うし、
そうなんやろうな。
隙間がなくてもいいやんな…
と自分に言い聞かせた。
そりゃあもう何度も何度も。
やせ形の知り合いですら
太ももなんて神話と言っていたから
別になくてもいいんだろうと
そのときは思うものの
しばらくすると隙間への
渇望がよみがえってくる。
偉大なるひとこと

まだ隙間コンプレックスとの
戦いは続いている。
長きにわたる戦いの中で
わたしが手に入れた
強力な武器となっている
アドバイスがある。
それは
長年お世話になっている、
パーソナルトレーナーさんからの
ありがたいお言葉だ。
以下、そのときの会話である。

体型へのこだわりってそれぞれ持ってますもんね。
でも、太ももの隙間ってもともとの骨格も関係してきますし
無理に隙間を作ろうとしたらそれこそBMI15以下にならないと
できなかったりしますよ。
そもそも何のために隙間が必要か考えてみたら、
健康を失ってまで求めなくてもいいと思いますよ☺
この会話がきっかけとなり
改めて自分の価値観を見直すこととなった。
わたしがほしかったものとは
そもそも何のために隙間が必要か考えてみたら、
健康を失ってまで求めなくてもいいと思いますよ
このトレーナーさんの言葉。
この言葉はわたしの胸に響いた。
あれ、なんでわたしそもそも隙間がほしいの??
汗疹ができたくないから?→できてないやん。
歩いてて太ももが擦れるのが気になるから?→気にしすぎてるだけでは?
痩せてるって安心がほしいから?→痩せてるって安心なん??
痩せって、安心なの??
痩せてるとすべてが許される気がしていた。
痩せているとすべての苦しみから解放される気がした。
デブコンプレックスを幼いころから
抱いていたわたしは、
悩みの大半の原因は太っていることだと思っていたから。
痩せていれば友だちもたくさんできる。
痩せていればいじめられない。
痩せていれば誰からも馬鹿にされない。
そう強く思っていた。
だけど現実はそう簡単ではない。
痩せていたって友だちができるわけじゃない。
痩せてたっていじめられるときはいじめられる。
痩せてたってバカにされることはある。
人生にはどうしたって避けられない苦しみはある。
もちろん痩せていることで回避できる
悩みがあることは事実。
少なくとも服が入らない、ブーツが入らないという悲劇はおこらない。
だけど、その安心感のために
毎日心を砕くストレスも発生する。
二つを天秤にかけた場合
はてさてどちらが重いだろうか。
太ももの隙間はわかりやすい痩せの象徴。
それを手に入れることができれば
自分は痩せているという安心感を得ることができる。
これは紛れもない事実だ。
安心感を求めて痩せにしがみつく。
しかしその幸せは常に失う恐怖と隣り合わせ。
このことに気がついた。
失う恐怖を常に抱えているしあわせ。
そんなものは
はたして本当にしあわせと言えるのだろうか。
しあわせって
もっと穏やかなものであるはず。
そもそも
太ももの隙間の有無
ひいては痩せているかどうかに
左右されるしあわせが
そこまで人生の中で重視されるものなのだろうか。
いやちゃうやろ。
少なくともわたしは
そんな遅効性の毒みたいなしあわせ
ほしくないなー。
一瞬の麻薬みたいなもん。
たいせつなのは
自分がなにを求めてるかなんじゃないかな。
いったん手放してみる
しあわせについて本気で考えても
すぐにはわからんもので。
そんな哲学的な問い、
すぐに答えが出る方が
むしろ一生出るかも怪しいレベルで。
今できることと言えば
いったん今持っている
これはまやかしのしあわせでは?
というものを手放してみること。
ダイエットだけじゃなく
ブランド物への憧れとか
タワマンへの憧れとか。
これは世間の影響をビンビンに受けまくってるな
と自分が感じるものを手放してみる。
頭の中に
そういうものへの渇望が出てきたら
かるーく流してみる。
あんまり深く考えず
ゆらゆらそのへんに漂わせておく。
そんなことを試してみようかな。
もちろんすぐにうまくはいかんやろうけど。
ずっとしんどいままでいるより
ぜったいにいい。
ぼちぼちやっていくぞー。
カウンセラーの先生が
おすすめしてくださった本↓↓
ダイエットのことや、
なんかしんどいことが頭から離れん~
って人は試してみてください。
やっぱり太ももの隙間に憧れます…