昔の自分の記録

今日、両親に昔書いた日記や、
読書感想文を運んできてもらった。

中学三年生の時に書いた、
読書感想文のノートがその中に入っていた。

20年前のわたし

20年前の自分が、
どんな本を読んで、
どんな感想を抱いていたのか。

そしてどんな文章で表現していたのか。

それを知るのは、とても楽しかった。

あぁ。昔の私はこんなことを思っていたのだ。

こんな表現方法をもっていたのだ。

今の自分より、よっぽど達観した考えをもっているじゃないか。

正直驚いた。

同時に、なぜ今の自分がうまく文章を書けなくなっているのかも
わかった気がした。

面白い文章を書こう。
人に認められる文章を書こう。
大衆ウケする文章を書こう。

そんなことを考えるあまり、
文章を書くことが窮屈になってしまっていた。

知識を入れ込みすぎて、
自分の”文章”が消えてしまっていることに気がついた。

いわゆる
”厨二病”
そんな文章がわたしの文章だった。

でもその文章は、
とてもわたしらしかった。

実際、今のわたしが心の中で呟いている言動も、
かつてのわたしが文章として表現していたものだった。

昔のわたしのほうが、
よっぽど勇気があったじゃないか。

ちゃんと自分の言葉で、
自分の気もちを表現していたじゃないか。

そう思うと、なんだか恥ずかしくなった。

人のまねをして、
人の評価を気にして。
年を重ねるごとに、
そんなものが積み重なって。

重ねすぎたミルフィーユは、
あとは倒れるしかないのに。

重ねれば重ねるほど、
味わい深くなる。
おいしくなる。
みんなに好きなってもらえる。

そう信じて病まない弱虫な自分が。
崩れかけたミルフィーユを、
いやもうすでに崩れてしまったミルフィーユを、
必死で支えて。

もっと積み重ねなければ。
認めらるまで積み重ねなければ。
と。

崩れた上にさらに重ねようとして。

いつしかぐちゃぐちゃになってしまっていたことにも気がつかず。

33歳になってしまっていた。

20年前のわたしが教えてくれた。

13歳のわたしが教えてくれた。

”もう積み重ねなくていいんだよ”

と。

だからわたしは今日も書く。

積み重ねるのではなく。

よけいな層をはがしていくために。

たとえ薄くなってしまっても。

それが”わたし”なのだから。

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